周辺環境
柳井市は降りただけで旧い町だと知れた。
珍しい町の風景だ。
近年、こういう古めかしい場所がだんだん少なくなっている。
世に有名なのは、伊豆の下田と備中の倉敷だが、
ここにもそれに負けないような土蔵造りの家が建ち並んでいる。
歩いている人間も静かなものだし、店の暗い奥に座っている商人の姿も、
まるで明治時代からその習慣を受けついでいるような格好であった。
松本清張『花実のない森』 「白壁と川のある街」より
白壁の街・柳井
白壁の町並(国指定重要伝統的建造物群保存地区)
柳井川の北側、古市金屋地区に残る町割りは、室町時代からのもので、約200mにわたり、街路に面して白壁と格子窓の家並みが続いています。
藩政時代には岩国藩のお納戸として栄え、産物を積んだ大八車が往来して賑わった町筋で、間口が狭く、奥行きの長い建物は「うなぎの寝床」と呼ばれる江戸時代特有の商家の造りを今に残しています。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、そぞろ歩きの似合う町並です。
夏の金魚ちょうちん祭りの前後には、金魚提灯が軒に吊るされ、一帯は幻想的な雰囲気を醸し出します。
かけや小路
白壁の通りにひっそりと佇む美しい小路は、かつてあった豪商の屋号を取り「かけや小路(しょうじ)」と名づけられました。
柳井川に続き、緑橋付近の雁木(石段)で荷揚げした産品を運んだ道です。
中世に造営された石積水路の様子を伺える一角ともなっており、夏場になると赤手ガニが路上を散歩するため、「かにが路上を横切ります人も車もご注意を」と記されたユーモラスな看板も立っています。
国森家住宅(国指定重要文化財)
「国森家住宅」は、18世紀後半に建てられた商家で、細部まで往時のままに保存されており、江戸時代の典型的な商家建築として国の重要文化財指定を受けています。妻入り入母屋造りの土蔵二階建て、屋根は本瓦葺きです。
◆開館時間:9:00~17:00
◆休館日:月曜日・年末年始
◆入館:高校生以上200円・中学生以下100円
◆柳井市金屋
◆連絡先TEL0820-22-0177
やない西蔵
佐川醤油蔵の西に位置し、かつて醤油蔵として使用されていた建物を改装したのが「やない西蔵」です。
当時の外観はもとより、中の骨組みをそのままに残しています。金魚ちょうちん作りや、柳井縞の機織り、染色などを体験することができる工房です。
◆開館時間:9:00~17:00
◆休館日:火曜日(祝祭日の場合は翌日)・年末年始
◆入館無料(体験は有料)
◆柳井市古市
◆連絡先TEL0820-23-2490
町並ふれあい館・町並資料館・松島詩子記念館(国指定登録有形文化財)
周防銀行本店として建てられた明治後期の建物。日本有数の銀行建築として、国の登録有形文化財の指定を受けています。一階は町並み資料館、二階は柳井出身の歌手である松島詩子のレコードや愛用のドレス、装飾品など約200点が展示された松島詩子記念館となっています。
◆開館時間:10:00~17:00
◆休館日:月曜日・木曜日(祝祭日の場合は翌日)・年末年始
◆入館無料
◆柳井市金屋
◆連絡先TEL0820-23-2137
柳井の「金魚ちょうちん」の由来
赤と白のすっきりした胴体に、パッチリと黒い目を開いたおどけた顔の柳井名物「金魚ちょうちん」は、幕末の頃、柳井津金屋の熊谷林三郎(さかい屋)が、青森の「ねぶた」にヒントを得て伝統織物「柳井縞」の染料を用いて創始したといわれています。
その後独自の技法が加わり今に伝わる「金魚ちょうちん」として完成。古くは多くの家々でおとなが作って子供に与えていたとのことです。昭和期に発行された日本郷土玩具番付(日本郷土玩具の会)等でも上位にランクされるなど、山口県の代表的な民芸品にまで成長しました。
現在では柳井のマスコットとして、白壁の町並みのあちこちにその可愛らしい姿を見せています。
また、毎年夏の夕刻に開かれる柳井市のビッグイベント「金魚ちょうちん祭り」では、三千個の金魚ちょうちんの幻想的な灯りで白壁の町並全体が包まれます。
日本文学のヴィンテージ 文豪・国木田独歩
山林に自由存す
われこの句を吟じて
地のわくを覚ゆ
嗚呼山林に自由存す
いかなれば
われ山林をみすてし
国木田独歩『山林に自由存す』より
国木田独歩(1871-1908) 独歩作品リストはこちら→
国木田独歩とは、誰でしょう。
独歩は自然主義文学の先駆者であり、日本の近代文学史に名を残す文豪です。
しかし、文豪といういかめしい称号に比べて、彼の作品や生き方が今に放つ光彩はあまりに清新であり、また若々しく自由です。
それは、彼がわずか37歳でこの世を去ったせいでしょうか。
あるいは、独歩というその名前から、独り『武蔵野』の山林や空知川の岸辺を跋渉する青年のイメージが、その作品の淡々たる筆致とあいまって想起されるせいかもしれません。
独歩は、多感なる少年期と文学に目覚めてゆく青年期をここ柳井及び近隣の地で過ごし、幾つかの作品を残しました。
佐川醤油の故郷は、田園の散歩者・国木田独歩の心の故郷でもあるのです。
文学の新しい潮流が、新たなる時代の精神を切り開いて行った明治。
独歩はその時代を独り歩き、そして独り去っていきました。
独歩Q&A
- 独歩の生誕地は?
- 千葉県銚子市に、1871年(明治4年)に誕生。その後、裁判官をしていた父・専八の岩国転勤に伴い山口県に移りました。柳井に来たのは、19歳の時です。
- 独歩は最初から作家だったの?
- 山口県下の田布施などで私塾を開き、田山花袋の『田舎教師』を地で行く生活を送った後、各地を転々。日清戦争が起こると「国民新聞」の従軍記者として従軍記 を執筆。処女作『源おじ』を文芸誌「文芸倶楽部」に発表して作家としての第一歩を歩み出したのは、1897年、26才のことでした。
- 独歩の私生活は?
- 日清戦争からの帰還後、有島武郎『或る女』のモデルとなった女性・佐々城信子と結婚するものの、翌年には離婚。青年期は、波乱に満ちた生活を送っています。
- 独歩の主な作品は?
- 『忘れ得ぬ人々』、『武蔵野』、『牛肉と馬鈴薯』、『運命』、『欺かざるの記』、『空知川の岸辺』、『河霧』など。柳井を舞台にしたものに、『少年の悲哀』、『置き土産』があります。次々に発表した独歩の作品集は文壇に新気運をもたらしましたが、しかし彼の文学が脚光を浴びたのは晩年になってからのことでした。
柳井と独歩
独歩は、明治25年二二歳の頃、ここ姫田川沿いに住んでいました。 「少年の悲哀」などの名作は、 この頃を回想した作品です。その旧宅が今も市山医院の邸内に独歩碑とともに残っています。
全国独歩碑[所在地 碑文 碑陰(建設年月日)]
- 北海道砂川市空知太551 滝川公園内 空知川の岸辺 s.25.9.25
- 北海道赤平市茂尻本町 国道脇 独歩苑 國木田獨歩曽遊地 s.31.9.26
- 栃木県那須郡塩原町下塩原745 ホテルニューあいず前 「欺かざるの記」より 碑陰なし
- 東京都渋谷区宇田川町21 明治二十九年國木田獨歩は愛妻信子に去られた悲しみを抱いて・・・ s.43.4.12
- 東京都武蔵野市関前5丁目 桜橋畔 「武蔵野」より s.32.10.20
- 神奈川県川崎市高津区溝口641 亀屋前 國木田獨歩にさゝぐ s.9.6.23
- 神奈川県足柄下郡湯河原町 温泉場万葉公園 湯ヶ原の渓谷に向った時はさながら雲深く分け入る思があった s.11.初夏
- 山口県熊毛郡田布施町別府 なつかしきわが故郷は何處ぞや彼處にわれは山林の児なりき・・・ s.26.文化の日
- 山口県柳井市柳井姫田3114 市山病院裏庭 獨歩之碑 s.45.5.
- 山口県柳井市柳井宮本1885 藤坂屋本店前 置土産 s.43.4.
- 大分県佐伯市大手区 城山 獨歩碑 s.31.6.23.再建
- 大分県佐伯市青山区黒沢 「欺かざるの記」より
- 北海道歌志内市本町 歌志内公園内 山林に自由存すわれこの句を吟じて血のわくを覚ゆ 1957.9.
- 茨城県ひたちなか市殿山町1丁目 海岸道路脇 挙げて永劫の海に落ちゆく世々代々の人生の流の一支流が僕の前に・・・ s.55.3.
- 千葉県銚子市黒生町丘上 「山林に自由存す」より 碑陰なし
- 東京都武蔵野市中町1丁目 JR三鷹駅北口 山林に自由存す s.26.3.
- 神奈川県逗子市桜山8-10 柳屋跡 蘆花獨歩ゆかりの地 碑陰なし
- 神奈川県茅ヶ崎市中海岸 「渚」 s.35.6.
- 山口県山口市春日町 亀山公園内 山林に自由存す s.28.春
- 山口県熊毛郡平生町田布呂木 歸去来の田布呂木峠
- 山口県柳井市東後地3142 光台寺門前 國木田独歩曽遊の地 s.26.2.
- 山口県岩国市横山2 吉香公園内 岩国の時代を回顧すれば恍として更らに夢の心地す s.48.9.9
- 大分県佐伯市大手区79-1 「城山」 s.50.2.22
- 熊本県阿蘇郡一宮町宮地 阿蘇仙酔峡 大阿蘇病院駐車場 國木田獨歩文学碑